松山地方裁判所宇和島支部 昭和37年(ワ)135号 判決 1966年6月22日
原告 小笠原長敬
被告 宇和島市
主文
被告は原告に対し金五万円及びこれに対する昭和三七年一一月一七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の負担とし、その四を被告の負担とする。
この判決第一項は原告において金一万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金五三五万円及びこれに対する昭和三七年一一月一七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因として、
一、原告の営業と自噴水との関係
原告は、その所有にかゝる、宇和島市通称小笠原新田(同市明倫町、桝形町にまたがる約二〇町歩の土地)内の同市明倫町字亀淵乙一九四四番地第二において、同所に自噴する地下水を利用して魚類の養殖、花菖蒲の栽培、それらの販売を業としていたものである。すなわち、
(一) 宇和島市通称小笠原新田は、原告の先祖小笠原長賢が約百五、六十年前の文政年間に海岸の砂州を干拓し、耕地に造成した土地であるが、(すなわち、その当時右地域は、来村川と神田川流水が運んで来た土砂の堆積により形成された沖積層を基盤とし、その上に比較的新しく右流水によつて運ばれた土砂が堆積して一帯の砂州を形成していたが、長賢はまず右地域の外側に堤防を築いて海水の侵入を遮断した上、その内側の砂州の上に数尺の盛土をなしてこれを耕地としたのである。)、その背後地帯(鬼ケ城山脈、その前山ないし丘陵地帯及びそこから海岸に至る緩傾斜地帯のうち、愛宕山と城山とを結ぶ線と来村川平野の西側に列なる山脈の線によつて画される中間地帯)に降る雨雪の地下水となつたものは伏流となつて右新田の地下に集結するがごとくに流下し、海水の圧力による抵抗を受けて右新田を中心とした相当広汎な地域の地下に滞留するに至るため、右新田内においては地下水が豊富であつて、そのどこでも(たゞし城山の西裏側地帯を除く)約一〇間地下に穿孔すれば地下水が自然に自噴していた(直径五センチの管を打込めば地上約三〇センチの高さに自噴する。)。
(二) 原告の養父小笠原長重は右新田内における地下水自噴作用に着眼し、これを利用して養魚業を経営しようと考え、自ら日本各地の有名養魚家を歴訪してその施設を視察しその学理と経験談を聴取して養魚法を会得した上、大正一〇年頃当時の金十数万円を投じて十数箇の養魚池、自噴水用の井戸(以下自噴井という)、自噴水の水溜施設、養魚池への配水施設等の設備を設けて、自噴水を養魚池に導入し、そこで鯉、鯔、鮎等の養殖、各種金魚の孵化養殖をなし、また別に菖蒲園を造成してここにも自噴水を導入して花菖蒲を栽培し、これらの販売を業とするに至つた。
(三) ところで、右養魚池及び菖蒲園への自噴水の供給方法は、自噴井から自噴する地下水を一旦水溜施設に貯水しこれを水溜の流水口から配水管を通じて養魚池及び菖蒲園に導入するという方法であるが、これによるときは、流水口の大きさと高さを適当にし導入水量が自噴水量を超過しないようにすれば、自噴水の自噴力は水溜の貯水の水圧に反比例し、これらが相均衡するとき自然に自噴作用が停止するという原理により、貯水量を一定に保つたまゝ、なおかつ終始一定量の水を養魚池、菖蒲園に供給することができ、かつかようにして供給される自噴水は理想的に濾過された年中摂氏一五度前後に保たれている清浄水であつた。このような自噴水の利用による養魚池への水の供給はその簡易性、正確性及び水温の恒常性において、右養魚業にとり他の方法をもつては全く望み難い価値があつた。
(四) そして、昭和一六年に至り長重が死亡したので、原告が同人の養嗣子としてその家督を相続して右営業を承継し、原告の実父小笠原長種がその経営に当り、原告も宇和島水産高等学校に学んで淡水産魚族の孵化養殖の理論と実技を研修した上、長種とともに右営業に専念するようになつた。
二、被告の不法行為
(一) 被告の地下水くみ上げ
被告は昭和三〇年頃その上水道用水の補給源を前記小笠原新田付近の地下伏流帯に求め、字和島市立城南中学校校庭東北隅(被告が原告より賃借した土地)、同市立鶴島小学校々庭西南隅(被告の所有地)、天赦園グランド東北隅及び同市立城南中学校々庭東南隅(以上被告が伊達宗彰より賃借した土地に)それぞれ井戸(以下右順序に従い第一ないし第四井戸という、各井戸の深さ、三〇メートル以上)を掘さくし、これに鉄管を打込み、別に同市御殿町内に設けた高性能動力ポンプを使用して右各井戸から地下水のくみ上げを開始した。
(二) 原告方自噴水への影響
右被告の地下水くみ上げ開始後の同三二年初め頃から原告の営業用自噴水に変調が現われ、はじめは被告の揚水時間中のみ自噴水が減少する程度であつたが、それが日を追うに従つてその程度が顕著となり、やがて右揚水時間中は自噴が停止するようになり、更に揚水休止時間中の自噴も減少しはじめ、また揚水休止後自噴が開始するまでの時間が長くなり、また自噴水中に海水が混入するようになつてこれを原告の営業用として引水することができなくなり、遂に同三四年には自噴が停止するに至つた。そして右のような自噴水の減少、停止、海水の混入は前記被告の大量の地下水くみ上げに原因があり、そのことは前述の原告自噴井と被告の揚水井戸との間の地理的関係、その周辺地の地質学的諸条件、自噴水減少、停止の時間、時期と被告の揚水時間、時期との相関関係に照して極めて明白である。
(三) 原告の営業上の被害
そして、同三二年中において早くも菖蒲園に自噴水中の海水が引水されたため栽培中の花菖蒲はその根が腐蝕して枯死し、また養魚池が減水したため稚魚の斃死が続出し、同三五年から同三六年にかけて各種親魚が全部斃死した。かようなわけで、原告の営業収入は同三二年以降次第に減少し同三六年には右営業を廃業するの止むなきに至つた。
(四) 被告の行為の違法性
以上のような次第で、結局被告は、前記のごとく大規模にして恒久的な機械を駆使して夥しく多量なる地下水をくみ上げ、その当然の帰結として原告の地下水利用権を侵害し、原告に前記のごとき営業上の損害を蒙らしめたのであり、右損害は、次の1、ないし3、事情法理をも考え合せると、社会生活上一般的に原告においてこれを忍容するを相当とする程度を著しく超越するものであるというべきであるから、右被告の行為は全然その権利なきか、権利ありとするもその濫用であつて違法性を有するといわねばならない。
1 被告において前記地下水くみ上げをなすことに決した頃、小笠原長種は原告に代つて被告市長に対し、原告の養魚業の実情、これが生命たる自噴水と前記地下伏流水の関係を説明し、この伏流水は背後の地帯が浅く狭小故水量に限りがあり被告において既定個所に穿井し揚水を敢行するときは隣接地帯の伏流水はそれに吸上げられ宇和島市明倫町一帯の自噴井は自噴水の影をひそめ、その地下水の圧力の後退から海水が侵入してこの地帯一帯の住民は飲料水を絶たれ、原告の養魚池は枯渇して原告の養魚業は壊滅すること火を睹るよりも明かであり、数年を出ずして右地下伏流水自体が枯渇を招来し徒らに地下水流の脈絡を変更しこれを荒廃せしめその極被告の揚水自体がでなくなるから、右地下水くみ上げの計画は再検討を加え、宣しく他の恒久的水資源獲得の途に出でられるよう陳情したが、被告市の水道事業責任者は、すでに市議会の議決したところであるから変更しがたいとか、被告の計画どおり実施しても右陳情にいうような影響は考えられないとか言明し、右陳情に全く取り合わなかつた。
2 被告の第一井戸は、原告が被告に対して宇和島市立城南中学校敷地に使用する目的で賃貸した土地内にあり、右賃貸当時原告は被告が右土地に井戸を掘さくして大量の地下水をくみ上げることなど予想もしなかつたことであり、被告が前記のごとき陳情を無視して、右井戸から大量に地下水をくみ上げたことは、借地使用の目的及び方法の範囲を著しく逸脱し、右借地契約に違背する行為である。
3 たとえ被告の地下水くみ上げが水道用水補充のためであつて公共の目的のためのものであつても、その結果他人がいかなる損害を蒙むろうと被告に責任がなく、前述のごとく事死活に関する大損害を蒙つた原告がこれに忍従しなければならないという理由はなく、このことは憲法二九条により明瞭なところである。
(五) 被告の過失
前記のとおり、被告は地下水くみ上げを開始するに際し、事前に長種より原告の自噴水利用及び営業上の利益を侵害する事態が発生するであろうとの注意を受け、容易に右事態の発生を予見しえたのであるから、かゝる場合は右事態の発生につき検討しこれを未然に防止しまたは緩和すべき措置を講ずる等相当の注意を払わねばならないのに、全然そうした注意を払わないで、前記地下水くみ上げをなしたものである。
よつて、被告は原告に生じた次の損害を賠償すべき義務がある。
三、損害額
(一) 花菖蒲の根腐れによる損害 金一〇万円
(二) 各種親魚の斃死による損害
1 昭和三三年中における鯔の斃死 金一四万円
2 同三五年中における金魚(三〇尾)の斃死 金三万五、〇〇〇円
3 同年中における錦魚(五尾)の斃死 金二万五、〇〇〇円
4 同三六年中における金魚(五〇尾)の斃死 金五万円
5 同年中とおける錦鯉(八尾)の斃死 金四万円
(三) 営業収益の減少による損害
1 同三二年度 金一〇万円
2 同三三年度 金二〇万円
3 同三四年度 金三〇万円
4 同三五年度 金三五万円
5 同三六年度 金四〇万円
(四) 営業権及び水利権喪失による損害
原告の営業は、その前記所有地(池五反七畝歩)とこれに自噴する地下水を素財とし、右池に加工付設した養魚用等施設、花菖蒲の原株、各種親魚を添加財とし、これに原告及び長種の養魚技術及び労働力を加えることにより年額金四〇万円ないし金五〇万円の収益を生んでいたものであるところ、我国現下の経済情勢の下においてはおよそ年額金四五万円の収益を生じる資本財の見積価格はその一〇倍の金四五〇万円とするを相当とすべきであり、これより、(1) 前記池五反七畝歩の価格金二〇万円、(2) 花菖蒲の原株及び各種親魚の合計価格金三九万円、(3) 原告及び長種の養魚技術及び労働力の見積価格(年額)金五〇万円、の合計金一〇九万円を控除した金三四一万円が原告の水利権と前記養魚用等施設一切を含む原告の営業権の見積価格である。よつて、原告は被告の本件不法行為によつて自噴水利用ができなくなりかつその営業を廃業せざるを得なくなつたことによつて金三四一万円の損害を蒙つた。
(五) 慰藉料
原告は、被告の本件不法行為により数十年来の家業を失い、その収入の道を断たれ、自己と実父長種との二世帯の家族を抱えてつぶさに離職者の苦痛を味い、また多年我子同様の心情をもつて飼育栽培してきた各種魚族や花菖蒲が自噴水枯渇のために斃死、枯死するのをまのあたりに見ていたく傷心した。これらの忍び難い精神的苦痛に対する慰藉料の額は金二〇万円をもつて相当とする。
四、よつて、被告は原告に対し、本件不法行為に基づく損害の賠償として、右三の(一)ないし(五)の損害額の合計金五三五万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である同三七年一一月一七日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
と述べた。
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として
一、請求原因一の事実は知らない。
二、同二の事実は、そのうち被告が原告主張の第一ないし第四井戸から地下水をくみ上げたこと、第一井戸は被告が原告から中学校校庭用として賃借した土地内に、第二井戸は被告所有地内に、第三、第四井戸は被告が伊達宗彰から賃借した土地内にそれぞれ存在すること、原告がその主張のような陳情をなしたことは認めるが、その余の事実は否認する。
被告経営の上水道事業は大正一五年一月事業創設以来その水源を柿原水源地にのみ依存していたが、地勢の関係上集水面積が狭少な上、戦中、戦後における水源涵養林の濫伐によつて表流水が減少したことに加え、市民人口の増加、その文化衛生思想の向上により上水道の需要が増加し、このため近年は上水道の給水制限は毎年の恒例となり、昭和二七年のごときは八月以後翌年三月まで約半年間に亘り極端な給水制限を行わざるを得ないことになつた。そこで、被告はその対策として鑿井による地下水の取水計画をたて、市内全般に亘り地形、地質、地下水分布の状態を慎重に調査した結果同三〇年度に原告主張の個所に上水道用の第一ないし第四井戸を掘さくし、同三〇年一月七日第一ないし第三井戸から、同年八月二七日第四井戸からそれぞれ取水を開始したのである。もつとも第一井戸は同三五年二月一五日以来、第二、第三井戸は同三六年八月三日以来それぞれ取水が中止され、廃井となつている。
もとより、以上の地下水くみ上げについては、被告において地勢、地下水分布状態につき慎重な調査の上他に影響なしとの確信をえた上で、(したがつて、原告の営業用自噴水の枯渇は被告の取水のためとは考えられない)前記のごとき上水道事情から市民全般の福祉のため行つたことである。
三、請求原因三の事実は否認する。
同三四年三月原告より被告に対し同三三年度における鯔三〇〇貫の斃死による損害として金二七万〇六八七円五〇銭の賠償を求める陳情があつたが、同年度は宇和島地方は五〇年来の大旱魃に見舞われた年であり、右原告申出の損害が被告の取水のためであることを確認できず、右申出を拒絶したことがある。
と述べた。
証拠<省略>
理由
一、証人小笠原長種の証言に弁論の全趣旨を綜合すると、原告の先租小笠原長賢が文政一一年頃海岸を干拓して耕地に造成したいわゆる小笠原新田(現在の愛媛県宇和島市明倫町及び同市桝形町の一部を含む地帯)内においては、地下水が豊富で、地下に鉄管を打込むだけでこれが自噴し、その高さは最高地上より約一メートルに達していたこと、原告の先代小笠原長重は、右小笠原新田内における地下水自噴作用に着眼し、大正年間に右新田内の所有地、同市明倫町字亀淵乙一九四四番地第二に養魚池、菖蒲園を設け、その周辺の十数個所の地下に鉄管を打ち込んでこれより湧出、自噴する(以下単に自噴水という)を養魚池、菖蒲園に導入し、そこで各種淡水魚の養殖、花菖蒲の栽培をなし、これを業とするに至つたこと、長重が昭和一六年三月死亡したので、その養子原告が家督を相続し右営業を承継したことを認めることができ、これに反する証拠はない。
二、被告が昭和三〇年頃原告主張の各場所に第一ないし第四井戸を掘さくして、水道用水として地下水をくみ上げたこと、第一井戸が被告において原告から中学校敷地に使用する目的で賃借した土地内に、第二井戸が被告所有地内に、第三、第四井戸が被告において伊達宗影より賃借した土地内にそれぞれ存在することは当事者間に争いがない。
証人清家利男の証言に弁論の全趣旨を綜合すると、被告は、後記のとおりその経営にかかる水道事業のための水道用水に不足していたので、これを補充するための水源を地下水に求め、第一ないし第四井戸(その深さは、第一井戸が二七メートル、第二井戸が三三、三メートル、第三井戸が二七、三メートル、第四井戸が三〇、三メートル)を掘さくし、同三〇年一月七日第一ないし第三井戸から、同年八月二七日第四井戸から、それぞれ動力ポンプを使用して地下水のくみ上げを開始し、第一井戸については同三五年一二月一五日まで、第二井戸につき同三六年八月三日まで、第三、第四井戸についてはその後に至るまで、右地下水くみ上げを継続し、そのくみ上げ量は、右すべての井戸よりくみ上げていた当時において一日当り三、〇〇〇トン、第三、第四井戸よりくみ上げていた当時において一日当り一、〇〇〇トンないし二、〇〇〇トンであることを認めることができ、これに反する証拠はない。
三、証人小笠原長種、同日野一芳、同三好弘、同宮川清の各証言に原告本人尋問の結果及び鑑定の結果を綜合すると、原告の前記営業にとつては養魚池、菖蒲園に間断なく清浄水を供給する必要があつたが、被告において地下水のくみ上げを開始して約二年を経た同三二年頃より、原告の営業用自噴水の自噴量が減少しはじめ、次第にその程度を増し、昼間被告において地下水をくみ上げる時間のみ自噴が停止し、右被告のくみ上げが休止する夜間には自噴が回復するといつた段階を経て、やがて夜間の自噴も極めて僅少となり、更に自噴の減少に伴つて自噴水中に海水が混入するようになり、遂に同三七年に至り、右自噴水によつては原告の営業に必要な清浄水の供給が全く不可能になつたため、原告は右営業を廃業せざるを得なくなつたこと、(仮に当時原告において動力を使用して原告方地下水をくみ上げてみても、それは海水が混入しているため右営業用水として利用することが不可能なものであつたこと、)前記のごとき自噴水の減少、停止、海水の混入は独り原告方に止まらず、その近隣家が飲料水として使用していた自噴水においても同様であつたこと、なお、同三九年一二月における原告方自噴水の状態は、その水位が満汐時においても地上約三〇センチメートルの高さにある取水口にまで上昇しえず、干汐時には地下約一メートルに下降し、自噴不能であり、しかもその水質は殆んど海水と同程度に塩分が含有されているものであつたことを認めることができ、これに反する証拠はない。
四、そして、原告方自噴水の減少、停止の時期、その経緯、近隣家における原告方と同様現象等に関する前記三の事実、被告の地下水くみ上げの開始時期、被告の第一ないし第四井戸と原告方の自噴水用井戸との場所的関係、被告の地下水くみ上げ量に関する前記二の事実に証人小笠原長種の証言、鑑定の結果を綜合すると、原告の営業用自噴水の減少、停止、海水の混入はいずれも被告の地下水くみ上げに原因があること(海水の混入については、被告の地下水くみ上げにより原告、被告がともに採取していた深層地下水(地下約一〇メートルないし三〇メートル)の水圧を著しく低下せしめ、このためすでに海水化されていた浅層地下水が完全な不透水層でない中間の粘土層を通じて深層地下水中に流下したために生じたものであること)を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。
五、そこで、被告の地下水くみ上げが違法性を有するものか否かについて判断する。
一般に土地所有者はその所有地内に掘さくした井戸から地下水を採取しこれを利用する権限があるが、地下水は一定の土地に固定的に専属するものではなく地下水脈を通じて流動するものであり、その量も無限ではないから、このような特質上、水脈を同じくする地下水をそれぞれ自己の所有地より採取し利用する者は、いわばそれらの者の共同の資源たる地下水をそれぞれ独立に利用している関係にあるといえ、したがつて、土地所有者に認められる地下水利用権限も右の関係に由来する合理的制約を受けるものといわねばならない。したがつて、また、新たに自己所有地から地下水を採取することにより、それ以前より行なわれていた近隣地における他人の地下水利用に影響を与え、その既得の利益を侵害した場合に右侵害行為が違法なものかどうかについても、その行為の態様、被侵害利益の程度等に照し、共同資源利用上の利益(その反面としての損害)の公平かつ妥当な分配(分担)という見地から判断して、先行の地下水利用者に右侵害による損害を忍受させるのを相当とする範囲を越えてその利益を侵害したと認められるか否かを標準とすべきであると解せられる。
これを本件について考えてみると、
(一) 前記認定のとおり被告は四個の井戸から動力ポンプを使用して継続的に大量の地下水をくみ上げたこと、
(二) 前記認定事実により明らかなとおり、原告の養魚業、園芸業はその先代以来数十年に亘つて継続してきた家業であるところ右営業にとつて必要不可欠の清浄水たる地下水が、被告の地下水くみ上げのためにその自噴を殆んど停止し、これに海水が混入し、そのためこれを右営業に利用することができなくなつたため、遂に原告は右営業を廃業せざるをえなくなつたこと、(地下水は、これが自噴水としてすなわち動力を要せず利用できるということは必ずしも一般的ではないが、これが飲料水等清浄水として利用できるということは、一般的にそう考えられている重要な利点であるから、被告の行為によつて原告方地下水の自噴を停止せしめたに止まらず、これに海水を混入せしめ清浄水としての利用を不可能にしたことは、地下水利用の最も重要な一般的利益を侵害したことになり、かゝる状態の継続するかぎりで、原告はその所有地における地下水利用利益の大半を失つたものと評価できよう。)
(三) 証人小笠原長種、同清家利男の各証言によると、原告の実父小笠原長種(後記のとおり同人も原告の営業に従事していた)は、被告の地下水くみ上げが開始されるに先立ち被告市の水道局長清家利男及び市長中川千代治と面談し、被告においてその計画どおり地下水をくみ上げるならば原告の営業用自噴水が停止し、原告の営業ができなくなることを訴え、右地下水くみ上げを中止するよう陳情したが、同人らはこれを顧慮することなく、被告において、その地下水くみ上げが原告の営業用自噴水に与える影響について特に調査することもなく、漫然と地下水のくみ上げを開始するに至つたこと、更に、長種は前記のごとく原告の営業用自噴水に変調が現れるに至つた後の同三四年三月頃にも水道局長に対し右変調を訴え、被告の地下水くみ上げに対して抗議したが、被告はこれに善処する何らの措置もとらず地下水くみ上げを継続したことが認められ、これを覆すに足りる証拠はないこと、
(四) 被告の第一井戸の設置地(城南中学校校庭)が、被告において原告から中学校校庭として使用する目的で賃借した土地内にあることは前述のとおりであるから、被告が、前記のとおり原告から中止方要求を受けたにもかゝわらず、第一井戸からも水道用水として多量の地下水をくみ上げたことは、前記賃貸借契約の目的を逸脱した背信的行為であるといわねばならないこと、以上(一)ないし(四)の諸事情に基き前記標準に照して判断すると、
少なくとも、被告が大量の地下水くみ上げにより原告所有地の地下水の自噴を殆んど停止せしめたに止まらず、これに海水を混入せしめて清浄水としての利用、したがつてまた原告の営業用水としての利用を不可能にし、そのため原告の営業を廃業のやむなきに至らしめたことは、その損害を原告に忍受させるを相当としないものというべく、被告の本件地下水くみ上げの行為は、右の範囲で違法性を有するものと解せられる。
もつとも、証人清家利男の証言によると、従来被告経営の水道事業はその水源を宇和島市内の柿原水源地にのみ求めていたが、戦中戦後における水源涵養林の濫伐等による右水源地の送水能力の低下、給水人口の増加等のため、右水源地からの送水のみによつてはとうてい市民の水道需要を賄うことができず、現に昭和二七年中に一二〇日間、同二八年八月から翌二九年二月までの一五〇日間いずれも給水制限を実施せざるを得なかつたところ、被告はかゝる水道事業の苦境を打開するためその水源を地下水に求め、前記地下水のくみ上げをなすに至つたこと、そして当時水道用水補充のためには他に適切かつ財政上実行可能な方法はなかつたことを認めることができ、右事実によると、被告の地下水くみ上げは市民全体の福祉のため必要に基きなされたものということができるが、かゝる場合においても、原告の被告に対する地下水くみ上げの差止請求が右公共性の故に権利濫用として許されないことがあるのは格別、右公共性の一事により、被告の地下水くみ上げに基づく損害賠償請求権の要件としての右被告の行為の違法性そのものは阻却されるべきではないと解せられる。そのことは憲法二九条三項、土地収用法六八条等の法理に照しても明らかである。
六、そして、一般に地下水を大量に継続してくみ上げるに際してはそれにより他人の地下水利用権に与える影響を調査し、右利用権に対する違法な侵害を防止すべき注意義務があるというべきであり、特に本件の被告の場合は、その地下水くみ上げに際し、予め原告の実父より右地下水くみ上げにより原告の営業用自噴水に対して悪影響を及ぼすことが必然である旨の注意を受けていたのであるから、特にこの点に対する調査を充分にすべき注意義務があつたというべきところ、前記認定のとおり、被告は右注意義務を怠り、原告の営業用自噴水に対する右のごとき調査を充分に行なわず、漫然と前記認定のごとき大量の地下水を継続的にくみ上げた過失により前記のごとき違法な結果を発生せしめたというべきである。
七、そこで、原告主張の損害の点について判断する。
(一) 花菖蒲の根腐れ、各種親魚の斃死による損害について
証人小笠原長種の証言によると、昭和三二年頃から前記原告の廃業に至るまで、原告の菖蒲園、養魚池において花菖蒲の根腐れ、各種養魚(親魚)の斃死が相当数発生したことが認められるが、同証人の証言によつても、その原因(自噴水の単なる減少に基因するのか、海水の混入によるのか、あるいは他の原因もあるのか)については明確とはいえず、また損害発生の時期についても前記認定以上には明らかでなく、その数量についての同証人の証言も直ちに措信しがたく、他に右諸点を明らかにする証拠はないから、右(一)の損害はこれを認めることができない。
(二) 営業収益の減少による損害について
この点に関する証人小笠原長種の証言は、単に原告主張のままの結論的損害額を述べるものにすぎず、その計算の根拠については何ら明らかではないので、これを直ちに措信できず、その他右損害についてこれを明らかにする何らの証拠もない。
(三) 営業権及び水利権喪失による損害について
原告は右損害額につき原告の前記営業による収益金を基礎として計算するが、その基礎たるべき右収益金については、その点に関する証人小笠原長種の証言は、年収金四〇万円ないし金五〇万円であつたと述べるだけであつて、しかもこれは記帳等に基づく収支計算をなした上での金額ではなく、原告の営業にたずさわつた同証人の概括的推量に基づく金額であることがその証言自体によつて明らかであるから、前記同証人の証言を直ちに措信することができず、他に右収益金を明らかにする何らの証拠もない。そして、他に右損害額算定の資料がないので、右(三)の損害もこれを認めることができない。
(四) 慰藉料について
証人小笠原長種の証言に原告本人尋問の結果を綜合すると原告の営業はその先代以来数十年に亘つて継続した家業であつたこと、原告は、昭和一三年五月生れの独身者であるが、同一六年三才のときに先代長種の養子になり、その後間もなく長種が死亡したので家督相続により右家業を承継し、実父長種の差配によつてこれを継続し、自らもこれに従事するため愛媛県立宇和島水産高等学校に学び、同三二年同校を卒業後約一年間大阪で働き、その後肩書住居地に帰つて前記廃業に至るまで右家業に従事していたこと、右廃業後は真珠母貝の養殖、プラスチツク用品等の販売手伝等の職についていたが、現在はもとの原告方養魚池、菖蒲園等(約五、〇〇〇坪)を埋立てこれを宅地に造成する工事にたずさわつていること、これが完成すれば原告所有の右土地は坪当り金一万円を下らない地価になる予定であることを認めることができ、これに反する証拠はない。右事実に前記認定の本件不法行為の態様、程度、その他本件証拠に顕れた諸般の事情を考慮すると、被告の地下水くみ上げによつて原告の営業が廃業の止むなきに至り、それによつて原告が蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料の額は金五万円をもつて相当とする。
八、以上の次第であるから、被告は原告に対し右損害金五万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日であることが本件記録上明らかな昭和三七年一一月一七日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
よつて、原告の本訴請求は、右金員の支払いを求める限度において理由があるのでこれを認容し、その余の部分は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 乗金精七 重富純和 黒田直行)